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【ネタバレ】アニメ『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』は傑作か凡作か。

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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傑作か凡作か。

 いまさらではあるものの、テレビアニメ『Vivy -Fluorite Eye’s Song-(ヴィヴィ – フローライトアイズソング-)』を見終わりました。

 ライトノベル『Re:ゼロから始める異世界生活』の作者である長月達平さんと、その『Re:ゼロ』アニメ版でシナリオを手がけた梅原英司さんが脚本・シリーズ構成を担当した最近にはめずらしいオリジナルアニメーションシリーズです。

 原作を持たないオリジナルシリーズには当然ながらそれなりのリスクがともなうわけですが、この作品のクオリティは高く、一般に高く評価されているようです。

 現時点でAmazonレビューの平均は★★★★☆で、肯定的なレビューが大半を占めています。ぼく自身もひさびさに楽しく見れたアニメでした。

 それはそうなのですが、一方で、設定や描写の甘さが気にかかるところもあり、そうかといってそれを声高に批判する気にもなれず、いま、なかなかむずかしい気持ちになっています。

 いったいこのアニメをどう評価するべきなのか? ちょっと迷うところですが、じっくり語っていきましょう。

SFとしての説得力は弱い。

 物語はいまから140年以上あとの未来社会において、AI(人工知能)と人間のあいだに戦争が勃発するところから始まります。

 それまで平和に人間と共存していたAIたちが突然、人々を殺害しはじめ、一方的な虐殺が続きます。そんななか、マツモト博士は意識を過去に送る一種のタイムスリップ技術を用い、歴史を書き換える「シンギュラリティ計画」を実施に移します。

 そうして100年前の2061年、人類初の自律人型AIであるヴィヴィに人類史の修正という大任が託されることになったのです。

 「歌でみんなを幸せにする」使命のため、テーマパーク「ニーアランド」のステージで歌っていたヴィヴィのもとへ、100年後の未来からパートナーとしてAI・マツモトが送られてきます。

 はたしてヴィヴィは無事、「シンギュラリティ計画」を成し遂げ、100年後の戦争を阻止することができるのでしょうか――というのが第一話のあらすじ。

 物語が始まってすぐ、一種の音楽ものというかアイドルものとSFを組み合わせた作品であることがわかります。アニメファンならすぐに『マクロス』を思い浮かべることでしょう。

 その後、ヴィヴィの100年間に及ぶ「旅」が描かれることになるわけなのですが、タイムスリップにAIと、いかにもSF的なガジェットが散りばめられた作品であるにもかかわらず、サイエンス・フィクション的な説得力は弱いといわざるを得ません。

全般にただよう古くささ。

 というか、全般にSFとしての描写が古い。そもそも映画『ターミネーター』を連想させる「AIの叛乱」というテーマそのものが、SFとしてはきわめて古典的であまりリアリティがありません。

 いや、もちろん、いまでも未来のAIがどういうことになるかは何ともいえないわけですが、とりあえず「突然、世界中のAIが暴走を始める」といった古式ゆかしい描写は現代のSFとしてはあまりにも単純すぎるといわれてもしかたないでしょう。

 また、AIやタイムスリップに関する描写も十分に煮詰められているとはいいがたく、その点だけを取り上げるなら、やはりいまどきクラシックすぎる作品というしかありません。

 SFアニメの王道といえばそうだけれど、2021年のいまに放送されるアニメとしては古すぎるかと。

 ただ、この作品、広く好評を集めていることからもわかる通り、「そういうお話ではない」のですね。少なくとも脚本家や監督が描きたかったのは、おそらくSF的な斬新さではまったくないと見るべきです。

 ヴィヴィの100年間に及ぶ「旅路」のあいだに人類社会の技術的進歩がほとんど見られないことも含めて、この作品のSF的な骨子の弱さを指摘することはいくらでも可能でしょうが、それはあまり生産的ではないように思えます。

 あきらかにひとりの不死の女の子が100年の時間をかけて成長していく物語と見るべきなのです。SF的な設定および描写は、いわばフレーバーに過ぎないように思えます。

SFとは何だろう?

 ヴィヴィは100年の旅のなかで少しずつ人間的に成熟していきます(ここら辺も、AIがこんなに人間的で良いのか?と思ってしまうところなのですが)。

 この、ヴィヴィが「人間の心」とは何なのかに答えを見いだすまでのストーリーこそが本作の見どころであって、だから本作をSFとして見てはいけないのでしょう。

 この作品は一見するとかなりハードなSFのように見えますし、じっさいにSFの伝統的なガジェットを用いているのですが、SFとしては何ひとつ新規性がありません。

 だから、この作品をSFとして評価するとかなり点数が辛くなってしまうのですが、その見方はおそらく間違えているのです。

 これはひとりのアイドルシンガーの女の子のセンチメンタルな成長物語なのであって、べつだん、サイエンス・フィクションとしての面白さを問われるべき作品ではない。

 しかし、ここでぼくはあらためて「それなら、SFとは何だろう?」と考えてしまいます。

 この同じ物語をたとえばファンタジーとして描くことも十分に可能だったはずです。そもそもアニメで少しずつ変わっていく未来社会を描くことには技術的な困難がつきまとうわけで、いっそファンタジーにしてしまったほうが見やすい作品になったかもしれません。

 もともとはSF作家であったジョージ・R・R・マーティンが『氷と炎の歌』でファンタジー世界を舞台に選んだように。

 それでは、SFならではの魅力とはどこにあるのか?

中国のSFブーム。

 もちろん色々とあるでしょうが、そのなかで最大のものはやはり「未来を描くことができる」ということでしょう。

 もちろん、すべてのSFが未来社会を描いているわけではありませんが、ぼくはやはりSFにSFならではの魅力があるとすれば、それは「未来にアクセスできる」というところだと思います。

 まあ、それゆえにSFはファンタジーの名作などと比べて陳腐化するのが早く、30年も経つとすっかり古くさいものになってしまいがちなのですが、それでも「いったいこの先、人類はどうなるのか?」という問いに答えを与えられることには強烈な魅力があります。

 あるいはこのように書くと、「SFとはそのような素朴なシロモノではない」という反論が返って来ることもあるかもしれませんが、しかし、SF固有の、SF以外にない魅力とはやはりそこなのでは、と思うのです。

 それは、経済発展いちじるしい中国で、かのウルトラベストセラー『三体』をはじめとする数々のSF小説が話題を集めていることからもわかるでしょう。

 これはアメリカの50年代、日本の70年代あたりに相当するブームなのかもしれません。

 本来、エンターテインメントとしてはこむずかしい理論が付きもののハードSFはあまりメジャーなジャンルとはいいがたいものがあるはずですが、経済が成長しつづけ、未来の明るさを信じられるとき、人はマクロなSFに惹かれるのです。

「神アニメ」ではあるのだが――

 そこで『Vivy』に話を戻すと、このアニメにはヴィヴィとサポートAIのマツモトが100年間を旅していくストーリーテリングの面白さ、ヴィヴィが歌ういくつもの歌がもたらすセンチメンタルな「感動」はあっても、人類史を俯瞰するようなマクロな視点はありません。

 「AIにとって心とは何なのか?」という問いに対する答えにしても、あまりにも感傷的であるようにも思えます。

 しかし、同時に、まさにそうだからこそ、この作品は「神アニメ」、「覇権アニメ」として好評でもって受け入れられたこともたしかだと思います。

 少なくともいまのアニメファンは、難解なハードSFよりわかりやすく感動的なアイドルアニメのほうに魅力を感じるでしょうから。

 それは当然といえば当然のことですが、一応はSFの面白さを知るぼくなどは一抹の寂しさを感じないこともありません。

 『Vivy』は決して凡作ではありません。名作、傑作というに値するかとはともかく、まず秀作といって良い出来でしょう。しかし、まさにそうだからこそ、ここにSFならではの魅力、SFだからこその面白さが欠落しているように思えるのはいささか残念なのです。

 経済が沈滞しつづけるいまの日本で中国のようにハードSFが広く受け入れられるかは、たしかにむずかしいところかもしれませんが……。

 この作品を見て、とりあえず『三体』を読んでみようと決意しました。ぼくが求めるものは、そこにこそあるのかもしれないと思います。

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