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『3月のライオン』に見る「幸せになるとつまらない」問題のアンサー。

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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『3月のライオン』最新刊への批判意見。

 先日、羽海野チカ『3月のライオン』の最新刊が発売された。前巻でつきあうことになった零とひなたの恋愛描写満載の巻で、甘酸っぱくも素晴らしい。

 殊にさまざまなテクニックを駆使して高められた画面の密度は圧巻で、連載十数年にして、過去最高のクオリティなのではないだろうか。

 ただ、Amazonを覗いてみると、当然というべきか全体的には絶賛のあらしであるものの、批判的な意見もいくつか見つかるようである。

大好きな作品で、16巻も楽しく読みましたが…。ここ最近、エピソードを詰め込んだだけの「ふわっとした」話が多いように感じます。

もちろんそれでもお話は先に進んではいるのですが、どうにも上っ面を撫でているだけというか、ストーリーの掘り下げが足りないというか。本編ではなく番外編なの??という話が続いているという印象が拭えません。

PVのような漫画になってしまった…。

キャッキャ、うふふ。

終始ほんわかフワフワして、いつ盛り上がるかなと期待してるうちに終わってしまった。

3月のライオンっていつからラブコメになったんだっけ?

前はもうちょっと島田開の白熱した対局など将棋で盛り上がってた気がするんだけど。

こんなに待ったのに中身薄かった…

次回の期待、もう全く無いです。

楽しみにしていたのにガッカリ

面白いとは思います。

ただ、なんだろう。話が進まないし以前のような勢いを感じない。

主人公が成長した証だと思うのですが。

あとこの作品将棋に関わる群像劇だと思ってましたが、

そもそもの将棋が薄い。

ホンワカでキラキラ

 典型的な「昔は良かった」型の感想でしかないといえばいえる。しかし、これらのレビューにはどれも共通の内容が含まれているようである。いったいこういった感想は本編のどのようなところから生まれているのだろうか。

物語の主人公は幸せになってはいけないのだろうか?

 その答えはあきらかであるように思える。これらの批判は、主人公である零が、かずかずの困難を乗り越え、ほんとうに幸せになってしまったから出て来ているものなのだ。

 一般に何かマンガを読むとき、読者は主人公や登場人物の幸せを祈り、その人生を追いかける。ハラハラドキドキ、スリリングな体験だ。

 しかし、たしかに主人公たちの幸福を願っていたはずなのに、じっさいにかれが幸せになってしまうと、物語への興味は減退する。

 あたりまえといえば、あたりまえのことだろう。プリミティヴな意味での「物語のおもしろさ」とは、主人公の状況のアップダウンの落差で測ることができる。幸福から不幸へ。どん底から頂点へ。その「差」が大きければ大きいほど、それはおもしろいストーリーなのだ。

 したがって、主人公の心理や状況が安定して、幸せになってしまったなら、必然的にそれは「おもしろくない物語」になってしまう。

 ここでぼくが思い出すのは、庵野秀明監督の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のことだ。『シン・エヴァ』でも、主人公である碇シンジはファンから「成長と成熟」を期待されていたが、じっさいにシンジが人間的成長を遂げて幸せになってみると、かなり多くの人がそれに対し批判的な意見だったのであった。

 このような例を見ていると、主人公が幸せになることは、物語の緊迫感を下げる意味しかないのだろうかと思ってしまう。結局、ファンはいつまでも主人公が逆境のなかにいることを望んでいるのだろうか。

読者は変化を期待しない。

 ひとつには、苛烈な逆境のなかで始まった物語は、いつまでもそのような状況を期待されるという問題がある。

 たとえば『ベルセルク』などでもそうだろうが、ある過酷な展開を描く時期に強烈なおもしろさを示してしまうと、読者は物語がそこから変わることを許さないのである。

 「いつまでもそのままでいてほしい」という読者の要望は、大長編シリーズにとって本質的な問題だ。だが、物語とは変化のダイナミズムそのものである以上、いつまでも同じであることはやはり不可能だ。

 物語はプラスへ、あるいはマイナスへ、劇的に変わっているときこそおもしろいというのなら、やがてそれがプラスの極ないしマイナスの極へたどり着いて安定することは必然でもある。

 もちろん、そうなったら「ハッピーエンド」ないし「アンハッピーエンド」を迎えて完結すれば良いのだという意見もあるだろう。それはそれで納得がいく考えかただ。

 だが、ほんとうに物語とはいつまでもアップダウンをくり返し、揺らぎつづけるしかないのだろうか。それはひとつの有効な方法論ではあるにせよ、ほかの道はないのか。

 『シン・エヴァ』は幸せになったところでハッピーエンドを迎えたわけだが、それが考えられる唯一の解決策なのだろうか。ぼくには、かならずしもそうは思えない。

ここで完結しても良い。

 そういう意味では、いくつもの過酷な試練を乗り越え、いわば大幅にマイナスの状況から始まった物語が、ついに零のその名のようなゼロポイントまで達したこの巻は、『3月のライオン』という長い物語にとって、ひとつの節目といえるかもしれない。

 もちろん、ここから間を措かず完結に至る可能性もある。タイトルが示すように、3月の高校卒業で完結することはありえる。

 だが、ぼくはもうひとつのルートを見ている。物語は、零がついにすべてを手に入れたかに見える現時点から間もなくハッピーエンドを迎えるのではなく、この先も続いていくのではないか。そう思っているのだ。

 たしかに、一般的なドラマツルギーで考えれば、零にはもう目立った「欠落」がない以上、ここで終わってしまっても良いということはできる。

 いままでの『3月のライオン』は、かれが「失ってしまったもの」をひとつ、またひとつと取り戻していくストーリーであったのだから。

 しかし、ついに零が何もかも取り戻し尽くしたかと見えるからといって、物語が終わりになるとはかぎらないと思うのだ。

 もちろん、あくまで常識的に考えるなら、かれが「回復」を成し遂げた以上、上記引用の批判にあるように、物語は緊迫感を失い、ただ幸せな雰囲気がただようだけの凡庸な作品に変貌してしまうだろうとはいえる。

 だが、ほんとうにそうなのだろうか。最新刊の圧倒的な濃密さを見るかぎり、べつのルートがあるように思えるのである。

『鬼滅の刃』や『チェンソーマン』と比べてみよう。

 「主人公が幸せになってハングリーさをなくして幸せになってしまった物語はあまりにも退屈だ」という意見は、「平和は退屈だ」という考えかたに似ている。

 そういう意見にはそれなりの説得力があるだろう。じっさい、2021年現在、大きな話題になっているたとえば『鬼滅の刃』や『チェンソーマン』のような傑作は、主人公を延々と過酷な環境に叩き落としつづけている。

 このような風潮を見ていると、やはり『3月のライオン』のような作品は時代の雰囲気にも合っていない、という気もしてくる。

 とはいえ、そういい切るのはいささか早すぎる。ぼくには、何というか「素直に幸せになれる」時代性もまたあるように思われるのである。

 『3月のライオン』の連載が始まった頃は、まだ不幸を競うように苛烈な人生を描き、その「不幸比べ」によって主張の正しさを判定するようなやり方がそれなりに有効だったように思う。

 だが、『鬼滅の刃』にせよ、『チェンソーマン』にせよ、あるいはほかのヒット作にせよ、もはやそのような「不幸比べ」をするようなところはまったくない。

 マイナスの逆境にあるときはひたすらにもがき、プラスの幸福にあるときはただただ素直にそれを喜ぶ。そういうことがふつうにできているように思われる。

 じつはもはや、物語を盛り上げるために、主人公を延々と不幸せになるように追い込みつづける必要はないのではないか、と思うのである。

「素直に幸せになれる」時代。

 もちろん、現代日本の状況はきびしい。そして、ますますきびしさを増している。だから、物語もまた、きびしい環境を描きつづけることは間違いないだろう。しかし、「それと主人公が幸せになれるかどうかはべつだ」。

 『3月のライオン』でも、この先、いろいろな問題がまたも発生するかもしれない。生きているかぎり、人は問題を抱えつづける。だが、だからといって零が不幸にならなければならないわけではない。不幸でなければ、力が発揮できないわけでもない。魅力的でないわけでもない。

 羽海野チカは、そのことを繊細に、丹念に描き込んでいく。

 この最新刊の最後で、まさに読者が考えるように、零は幸せになっていままでのような力量を発揮できなくなってしまうのではないか、と懸念した二階堂は、そうではなく、零は「別ルート」を必死に登ろうとしているのだということを気づく。

 それは、物語そのものが「別ルート」へかじを切ったことを意味しているように思える。

 『3月のライオン』は、ここで、ここ数十年の物語業界でくすぶっていた「物語をおもしろくするためには、主人公を幸せにするわけにはいかないのではないか?」という問題に答えを示したのだ。それも、最高の形で。

 『シン・エヴァ』がまさにそうであったように時代はいま、「幸せになること」を怖れない方向に進んでいる。ぼくはそのように考えている。あなたのご意見は、どうだろうか。

プロフィール

 海燕(@kaien)。

 1978年7月30日生まれ。生まれながらの陰キャにして活字中毒。成長するとともに重いコミュニケーション障害をわずらい、暗黒の学生時代を過ごしたのち、ひきこもり生活に入るも、ブロガーとして覚醒。はてなダイアリーで〈Something Orange〉を開始する。

 そののち、ニコニコチャンネルにて数百人の有料会員を集めるなど活動を続け、現在はWordpressで月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員でもある。

 Twitter、YouTubeなどのほか、複数のLINEオープンチャットの運営もしているので、ご自由にご参加ください。ご意見、ご感想、お仕事の依頼などはサイドバーのメールフォームからお願いします。

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