コラム

なぜフェミニストは「バックラッシュエロオヤジ」と化すのか?

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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コラム

Vtuber戸定梨香とフェミ議連を巡る一連の問題。

 今日は、というか、今日も「フェミニズム」の話です。

 どうもこの頃、しょっちゅうインターネットフェミニズムについて書いているような気がしてならない。それだけいわゆる「ツイフェミ」が話題を集めているわけでもあるでしょうが、それにしてもちょっと書きすぎかも。

 まあ、いつもいつもワンパターンにツイフェミの愚かしさを非難してばかりでもつまらないので、きょうは少し違う違う視点から問題を見てみたいと思います。

 今回、取り上げるのは例の「Vtuber戸定梨香の交通安全動画の件」です。この記事を読まれている方のなかにまったく事情を知らないという人はいないとは思いますが、一応説明しておくと、問題は千葉県警が千葉県松戸市のご当地女性バーチャルユーチューバー(Vtuber)である戸定梨香を交通安全啓発動画に採用したところから始まっています。

【3分間動画】交通安全PR「松戸警察、松戸東警察からのお願いです!」

 いや、それ自体はぼくなどには特に問題もないことのように思えるのですが、これが「全国フェミニスト議員連盟」からの抗議を受けて削除されてしまいます。

 仮にも議員連盟と名を冠する団体が警察に圧力をかけてある表現を圧殺した形になったわけで、これはやはり大きな問題でしょう。

 で、これの対しておぎの稔議員と「ネット論客」の青識亜論さんが「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」と題する署名を募集していまに至る、というわけです。

 この「抗議」には現時点でじつに6万人を越える数の署名が集まっていますが、結局、期日までにフェミ議連からの返答はなかったようです。

全国フェミニスト議員連盟 - 松戸警察、松戸東警察が「千葉県松戸市ご当地VTuber戸定梨香」を採用...
松戸警察、松戸東警察が「千葉県松戸市ご当地VTuber戸定梨香」を採用 これを受け、女性・女児を性的対象とみなす固定観念に沿った描き方を、公的機関である警察が使うのは問題と捉え、公開質問状を送付しました。...
71,462 名の賛同によって、このキャンペーンは成功に導かれました
全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状

責任から逃げるな!

 まず、最初にぼくの立場をあきらかにしておくと、当然ながらおぎの議員や青識さんの「抗議」に賛成する立場です。

 そもそも議員連盟が警察に圧力をかけて表現を消させることそのものがどうかと思うのですが、それ以上に納得できないのはフェミ議連の「公開質問状」の内容です。

 Vtuberを「アニメキャラクター」と書いていることなど、そもそも実状をほとんど理解できておらず、脊髄反射的に「公開質問」に踏み切ったと思しいこともさることながら、「公共機関である警察署が、女児を性的対象とするアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならない」、「性犯罪誘発の懸念すら感じさせる」などと客観的根拠に欠ける発言をくり返していることはさすがに看過しがたい。

 まあ、この手の議論はネットを通して何万回もくり返されたものなのでいまさら詳細に語ったりしませんが、性犯罪を誘発する懸念があるというのなら、はっきりと論拠を示してほしいものです。

 ただ、フェミ議連はその後、膨大な数にのぼった批判、弾劾をほぼ無視して「逃げ切り」を狙っているようで、その卑小な態度にはあらためて失望させられます。

 自分たちの主張に正義があると思うなら、だれが何といって来ようがはっきりとそう明言すれば良いでしょう。あくまでやり取りを避けようとする態度からは、正面から議論して論破されてしまうことを危ぶんでいるとしか思えません。

 いや、ほんと、ガッカリだよ……。

それは「バックラッシュ」なのか?

 しかし、ネットにはフェミ議連寄りの立場から自分の意見を主張しておられる方もいらっしゃるので、ここではその種の主張を取り上げてみましょう。

 ぼくが面白いと思ったのは、「バックラッシュがやってきた!「松戸市ご当地VTuberの戸定梨香」を啓発動画に採用したことに対する抗議」の件」と題する記事です。

 ここではおぎの議員や青識さんの「抗議」、そしてそれに関連する言論の数々が「バックラッシュ」としてまとめられているわけなのですが、ぼくが面白いなと思ったのは以下の箇所です。

私は元、エロ漫画の編集者だったが、編集会議で「制服を着ている女の子を出すのはどうか」と軽い気持ちで提案した。男の人はみんな制服が好きだからという安直な理由である。しかし、会議で反対にあった。コンビニ流通系のエロ漫画では、制服を出してはいけないのだ。未成年だからというのが大きい理由である。つまり、売る側も売ってはいけない体だと理解している。けれど、制服ものは大変人気があるというのを会議で聞いた。

改めていうのもおかしい気持ちがするが、男性は未成年が大好きなのだ。そして、それを性的に消費したくてたまらないのだ。

今回問題になったVチューバーは制服を着ながら、ヘソを出している。そして、ミニスカート。本人の意図はどうであれ、見る側の男たちは性的に感じるだろう。そして、戸定梨香の喋り方はゆっくりとしてしたったらずで、まるで幼女だ。戸定梨香は男が望む、無垢で幼くエロい女、そのものなのである。だから、人気があるのだ。私は少なくとも、大勢の前でヘソを出したくないし、馬鹿っぽい喋り方もしたくない。

逆だったらどうだろうと考える。京アニのアニメで「Free!」という男性が水泳競技をするアニメがある。私も好きで見ているが、このキャラが公共の場で水着を着たまま、交通安全を訴え出したら「いやいや、そこまで女性たちにサービスしなくてもいいです!」と言いたくなる。

「Free!」を見ている私は萌えキャラの男性たちの水着や筋肉に魅力を感じるけれど、それは公共の場でおおっぴらにしていいものではないと知っている。しかし、男性たちにはそれがない。ずっと、女性が男性に媚を売る環境で育ってきたのだから。テレビをつければ綺麗な女性のキャスターが男性の話を聞いて頷き、雑誌を開けばいまだに女性の水着グラビアが載っている。

女性向け表現も「公の場に出してはいけない」のか?

 仮にも人格を持つひとりの人間に対し、平然と「馬鹿っぽい喋り方」と侮辱していることは凄まじい。これがフェミニストを自任する人間が女性に対しいうことなのです。いったいフェミニズムはどこで狂ってしまったのだろう? あらためてそう問い直したくなります。

 ですが、おそらく、彼女は自分の発言が侮辱であるということすら自覚していないかもしれません。「だって馬鹿っぽい喋り方じゃないか! 馬鹿っぽい喋り方といって何が悪い!」。そういうことなのでしょう。

 しかし、このVtuberのキャラクター自体は架空のものであるとしても、喋っている人間は歴然と実在するのであり、それを「馬鹿っぽい」などと表現することは紛れもない侮辱です。

 もちろん、公に表現を問う以上、この種の際どい「批評」を受けることもしかたない一面もあるかもしれません。だが、そうだとしたら今後、自分自身もどのような罵詈雑言も受け入れる覚悟をするべきでしょう。

 自分は他人を侮辱するが、他人が自分を侮辱することは許せないというのは通らない。はたしてそこまでの覚悟をもって発言しているのかどうか、ぼくはきわめて怪しく思います。

 で、ぼくがほんとうに面白いと思ったのは、そのあとのアニメ『Free!』に関する記述です。「それは公共の場でおおっぴらにしていいものではないと知っている」。そう、ここでは、いわゆる「女性向け」の表現もまた、恥ずべき、隠すべき、「世間」の目を避けるべき表現として捉えられているのです!

男女平等に考えることの必然的結末。

 いわゆる「女性向け」のアニメやマンガの表現に対して、「恥の意識」を持つ女性ファンがたくさんいることは知っています。

 だからこそ、ネットではしばしばいわゆる「学級会」と呼ばれる「公開法廷」が開かれるのであり、「公の場に出たら攻撃されるのだから隠れなければ!」と主張する人もまたたくさん存在しているのです。

 しかし、仮にもフェミニストを名乗る人間がこういった表現に対し、「公共の場でおおっぴらにしていいものではない」などと語っていることは衝撃的です。

 フェミニストとは、タテマエではあるにしても女性の表現の自由を擁護し、解放しようとする立場であったのではないのでしょうか? これではまるで彼女自身が「バックラッシュ」そのもののようではありませんか?

 というか、じっさいのところ、インターネットにおけるフェミニストの、少なくともツイフェミと呼ばれる人たちの発言はまさに保守オヤジそのものです。

 「若い子がヘソを出すなんてけしからん! 性的だ!」などという発言は昭和のオヤジ的というしかありません。すでに令和の時代に生きていることを忘れそうになってしまいます。

 なぜ、女性の自由を保護する立場であるはずのフェミニストが、逆に女性から自由を奪おうとすることになってしまっているのか? ぼくはこの点をこそ興味深く思うのです。

 もちろん、男性の表現を狩ろうとする以上、女性の表現をも規制せざるを得なくなることは、論理的にいって必然ではあります。

 もし男性の幻想なり欲望が「悪いもの」なのであり、「公共の場でおおっぴらにしていいものではない」とするなら、当然ながら女性の幻想や欲望もまた「悪いもの」であって、公共の場に出してはいけない性質のものである、ということになるわけです。

 あくまで男女平等に考えるなら、これは必然的な結論ではあるでしょう。しかし。ああ、しかし。

「自由」や「多様性」と「唯一の正しさ」は矛盾する。

 少し冷静になって考えてみましょう。ここで展開されているのは、「そのような表現はテレビやネットなどで「こっそり」流すのは良いが、警察のポスターなどにはふさわしくない」というおなじみのものです。

 じっさいにはフェミ議連の主張はこの次元を飛び越えて、「性犯罪を誘発する可能性」を云々するところまで飛躍してしまっているのですが、それではさすがに大勢を納得させることはできそうにないので、論理を後退させたのでしょう。

 それはわかる。わかるけれど、それにしてもなぜ一応はフェミニストともあろうものがこのような風紀委員的モラルを持ち出さざるを得なくなってしまうのか。

 どうして「自由」と「多様性」を高らかに掲げながら、結局はこの手の「バックラッシュエロオヤジ的道徳」に回帰してしまうのか。

 ここにこそ、現代のフェミニズムが陥った隘路があると思います。つまり、唯一の「女性の正しいあり方」を求めれば求めるほど、それは必然的に「自由」や「多様性」とは矛盾するということなのですね。

 あるひとつのライフスタイルだけが「正しい」のであって、すべての女性はそういうふうであるべきだとすれば、「自由」も「多様性」もいらないことになる。

 たとえば「大人の女性は知的な喋り方をしなくてはならない」とか「大人の女性は男に頼ったりしてはいけない」といった「正しさ」からすれば、たしかに美少女Vtuberのあり方はありえないほどグロテスクなものに映るでしょう。

それは「グロテスク」だろうけれど。

 ぼくはアニメなどの美少女キャラクターを「グロテスク」と感じる感性を否定はしません。ぼくなどはもう慣れてしまって何も感じなくなっているけれど、そういうふうに感じることそのものは普通のことだと思う。

 問題は、そのような「グロテスクさ」もまた、「女性の自由」のひとつの形であるということです。ほんとうに女性に自由であることを許したなら、フェミニストお好みのスタイルだけに収斂したりするはずはないのです。

 「馬鹿っぽい」喋り方をしたいという人も出るでしょうし、ヘソ出しファッションを着たいという人も出て来るに違いありません。それを「馬鹿っぽいからダメ!」と見下して禁止するのだとしたら、そこには「自由」も「多様性」もありません。

 つまり「バックラッシュエロオヤジ」そのものです。

 おそらく、ここに多くのフェミニストの致命的なカンチガイがあった。ようするに、多くのフェミニストたちは、女性に自由を認めたのなら、ほとんどの女性は知的で聡明で大人で自立した態度を選ぶだろうと考えていたのだと思うのですね。

 あるいは、もしそうならないのだとしたら、それは「男性の価値観を内面化」したからであって、ようするに薄汚い男どもに洗脳されているのだ、ということになるのだと思います。

 「名誉男性」論ですね。ここら辺、女性の自由意思を完全に否定しているわけで、もはや何がフェミニズムなのかよくわからなくなってしまいますが……。

十分に堕落したフェミニズムは、アンチフェミと区別がつかない。

 いままでフェミニストは「女性の自由」を礼賛してきました。でも、いざほんとうに自由になってみると、そこで出て来たものは「フェミニストお好みの女性イメージ」に収まるものではなかった。これがいま起こっていることです。

 そこでほんとうに懐の深い人物なら、自分自身の狭隘な固定観念を反省し、「フェミニストの理想の女性イメージ」もまた「保守的なバックラッシュオヤジの理想の女性イメージ」と同じく、「現実の女性」を束縛するものであることを認めて反省するかもしれませんが、残念ながらそれほど寛大な人物はなかなかいません。

 だから、結果としてフェミニストは、あらゆるフェミニズムの理想に反して、「へそ出しセーラー服にミニスカートとかけしからん! あと喋り方も馬鹿っぽい!」といったかぎりなくアンチフェミニズム的としかいいようのない言動を始めるのです。

 ぼくはひとりのフェミニストを自任する人間としてこれを批判します。それはまったく「アンチフェミニズム」ではなく、むしろVtuberを批判する声のほうが「現実の女性の自由」を制約するという意味で「アンチフェミニズム的」、「バックラッシュ的」なのです。

 何だろう、人間ってある存在を憎んで憎んで、戦って戦っていると、いつのまにかその「敵」そっくりになってしまっていることがあるんですよね。いまの「ツイフェミ」はまさにその状況に陥っています。

 もちろん、放っておけばいつか「アンチフェミ」もいまのフェミニストとたいして変わらないところまで堕ちていくでしょう。堕落した「敵」を見て、己を省みたいものです。ぼくは、そういうふうに考えます。

プロフィール

 海燕(@kaien)。

 1978年7月30日生まれ。生まれながらの陰キャにして活字中毒。成長するとともに重いコミュニケーション障害をわずらい、暗黒の学生時代を過ごしたのち、ひきこもり生活に入るも、ブロガーとして覚醒。はてなダイアリーで〈Something Orange〉を開始する。

 そののち、ニコニコチャンネルにて数百人の有料会員を集めるなど活動を続け、現在はWordpressで月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員でもある。

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