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なぜBLではエロスと感動が「乳化」するのか?

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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『海辺のエトランゼ』を見たよ。

 『海辺のエトランゼ』というBL(ボーイズ・ラブ)アニメを見ました。

 原作は紀伊カンナさんの同名マンガ。ひじょうに評価の高い作品ですが、アニメ版もかなりよくできていたと思います。

 この手のBLアニメだと、中村明日美子原作の『同級生』が記念碑的な傑作だったのだけれど、それとはまた一風違う方向性で良かった。

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 ちなみにぼくの友人のてれびんという男は、この『同級生』をBLとは知らずに見に行き、「いつになったら女の子が出て来るのだろう?」と思ったら男同士で結ばれてびっくりしたと語っていました。

 アホとしかいいようがないエピソードだけれど、なかなか稀有なサプライズではあったかも。やはり映画はあまり情報を仕入れず見に行くべきものですね(そういう問題か?)。

 まあ、それはともかく、最近はBLや百合が高いクオリティで映画化されることも増えて来ていて、なかなか良い時代になったものだと感じます。

 そういう映画を見に行くアラフォーのおっさんはあまりいないだろうけれど、ぼくはべつにそういうことは気にしないで自分の見たいものを見に行くのだ。

 ところで、この手の作品を見るたびに思うのが、「BLってなぜここまでナチュラルにセックスがストーリーに絡んでくるのだろう?」ということ。

 BLを見ていると、なんとなく男性向けとの違いを感じるのですね。うーん、うまく説明できるかどうかわかりませんが、どうにかやってみましょう。

BLにエロスはよく似合う。

 まず、BLに(男同士の)セックスは付きものです。『海辺のエトランゼ』でも、とくべつそーゆー作品のようには見えないにもかかわらず、あたりまえのようにセックスシーンがあって、しかもそれがお話に違和感なく馴染んでいる印象があります。

 これってBLの特色だよな、と思うんですね。BLはいわゆる「男性向け」作品と比べると、性的なものが物語と問題なく馴染んでいる度合いが高いのではないか、と。

 いわばエロス(=セックス=性的な要素)と感動が混ざり合って「乳化」している。あ、「乳化」ってわかりますかね。水と油が混ざって一体になることを指す料理用語なんですけれど。ペペロンチーノとか作るとき行います。くわしくはGoogleにお訊ねください。

 まあ、とにかく、いわゆる「男性向け」だとこの「乳化」がなかなか起こらず、あるいは起こるとしても中途半端に終わって、エロスが物語のなかで浮き上がって感じられることが多いような気がするのですよ。

 急いで補足しておくと、これはあくまでぼくの感覚の話で、じっさいには「そんなことはない」という人はいくらでもいるとは思います。

 でも、やっぱりぼくには「男性向け」とされる物語では、エロスと「物語的な面白さ、感動」はあまりうまく混じり合わない傾向があるように思えます。

 いわゆる「感動的な」エロゲとかいろいろやってきたけれど、大半の場合はエロスが物語から遊離している印象がつよかった。「名ラブシーン」みたいなものはあまり思い浮かびません。

男性向けエロゲではセックスは物語から遊離する。

 『Kanon』とか『AIR』とか、あるいはそれこそ『Fate』とか、卓越したストーリーで評価されている「感動的な」エロゲはいくらでもあるわけなのですけれど、それらのなかのエロティックな場面が物語のなかで必然性が高いものだったかというと――すくなくともぼくはそうは思わないのですね。

 だからこそ、あっさりそれらのシーンをカットして「全年齢版」としてコンシューマーで発売しても特に問題はないわけで、この手の作品におけるエロスが「作品の切り離せない構成要素」だとはあまり思えないわけです。

 まあ、『Fate』ではいくらかエロスが物語に絡んでいたかもしれませんが、それもどちらかといえばダークでハードな絡み方でした。

 それに対し、BL作品ではもう少し自然にエロスとストーリーが「乳化」しているように思うのです。あくまで印象論でしかありませんけれどね。

 なぜそういうことになるのか、これはBL好きの女性にでも聞いてみたいところです。でも、ぼくのまわりには腐女子の人はほとんどいないので、いまのところなぞです。

 だから、これは推測でしかないのだけれど、おそらく多くの女性の感性のなかでは、エロス、あるいは性的なるものは「愛」の延長線上にあるものとして、ラブストーリーにしっくり入り込むことができるのでしょう。

 それが、多くの男性にとっては必ずしもそうではない、ということなのだと思います。

田中ユタカという特異点。

 あるいは、むしろ男性向けの作品ではなぜこの「乳化」が自然に起こらないのか?と考えてみるべきなのかもしれない。

 もちろん、男性向けでも「愛」と「エロス」が馴染んでいるラブストーリーはあるでしょうが、割合としてはやはり少ないんじゃないかな。

 これは男性が「性的なもの」に対し持っているイメージが関係しているようにも思うのですが、やはり男性は性的な描写を純粋に「愛の表現」とは見られないところがあるのでしょうね。

 いやまあ、このように書くと山のように反論が返ってきそうな予感もあるんですけれどね。それはそれで良いでしょう。あくまでぼくの感性で見たときの話です。

 稀有な例外としては、たとえば田中ユタカさんの作品が挙げられるかもしれません。田中さんは、『初愛』とか『しあわせエッチ』とか、そういうタイトルのエロマンガを数多く描いているのですが、そこでは「エロス」と「感動」が平然と一体化しているように見えます。

 まず、余人の追随を許さない唯一無二、ワン・アンド・オンリーの境地ですね。

 しかし、誤解を恐れずにいうのなら、田中さんの作風は、その「エロス」と「感動」をみごと「乳化」させることに成功した唯一性ゆえに、ある種のグロテスクさを孕んでいるようにも思える。

 それに比べ、女性向けのBL作品はもっと無邪気に「エロス」と「感動」を「乳化」させているように思えます。あれは何なのだろう。教えて>腐女子のエロい人。うーん、不思議不思議。という話なのでした。おしまい。

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