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少年マンガはほんとうに「越境」し変化してきているのか?

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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わかりやすいツッコミどころはあるが……。

 このような記事が話題に上っています。

 まずは、「少年」にも深く関わる、主人公の年齢について。少年漫画といえば、多くの場合主人公は高校生から20代前半の年齢が多いのではないか。「少年」の定義にも諸説あり、14歳まで、18歳まで、未成年者全般等々……まちまちではあるため、10~20代前半の主人公は「少年」の範疇に入る読者から見て等身大、ないし近い存在であるといえる。

『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の連載開始前、作者の和月伸宏氏が当時の担当編集者から「少年誌の主人公で30歳越えはどうなのか」とNOを出されたというエピソードが示す通り、おおよそこの範囲に収めることが少年漫画の不文律といえるかもしれない(『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心の年齢は、最終的に28歳に落ち着いた)。

https://crea.bunshun.jp/articles/-/31674

 少年漫画好きとしては、いや、昔から30代以上の主人公もいますよ、というか昔のほうがかえっていまより平均年齢は高かったかもしれない、などといいたくなりますが、それはまあ良いでしょう。

 そういう「わかりやすいツッコミ」も大切ではありますが、今回はそれに終始することなく、「いま、少年漫画は多様化しているのか?」と考えてみたいと思います。

女性主人公も男の娘も昔からいた。

 ぼくはべつだん、すべての少年マンガを網羅的にチェックしているわけではないので、「現在の少年マンガはこうなっている!」と断定的に語れる立場にはいないのですが、「年齢」と「性別」という観点から少年漫画を見るとき、それが時代に合わせて多様化しているかどうかは微妙なところだと思います。

 とりあえず『ジャンプ』、『サンデー』、『マガジン』、『チャンピオン』の週刊四誌を少年マンガの代表格と見るなら、あまり変わっていない印象もありますね。

 女性主人公も昔から一定数いましたね。しかし、そもそも『あやかしトライアングル』は女性主人公ものに入るのでしょうか。いや、それをいうなら『らんま1/2』は。もっというなら『ストップ‼ひばりくん!』は。いやあれは違うか、などといろいろ考えてしまうわけですが、まあ、そういうジェンダートラブルネタも以前からあったはあった。

 そういうわけで、特に『ジャンプ』などはその時代、その時代でそれまでの『ジャンプ』のイメージを裏切るチャレンジを続けてきたわけで、いまになって急に革新的になったとはいえないのではないかと。

 『ONE PIECE』なんてあいかわらず古典的な少年マンガをやっていて、そのことで批判と称賛を受けて来ているわけですよね。そういう意味では、この業界は、一概に保守的とはいえないにしても、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」の影響はあまり強くないのではないでしょうか。

少年マンガの読者は少年だけではない。

 それを良いことと考えるか保守的に過ぎると考えるかは微妙なところですが、『ジャンプ』を初めとした少年マンガはあいかわらず「少年向け」であることにアイデンティティを見いだしているように見受けられます。

 そういえば、「(『ジャンプ』の編集は)少年の心がわかる人でないと」という発言を引用したツイートが炎上気味に話題になったこともありましたね。

「女性はジャンプ漫画の編集にはなれませんか?」の質問に「前例が無い訳ではありませんが週刊少年ジャンプの編集には『少年の心』が分かる人でないと……」と返されたのが絶対許せない
更新日:11月6日00時06分

 しかし、じっさいには少年マンガの読者は狭い意味での「少年」だけではありません。これは昔からそうで、つねに少年マンガには一定数の女性読者がいました。

 また、はっきりしたデータはありませんが、少子化の影響などもあって、少年マンガの対象年齢は上がってきているようにも思えます。それにもかかわらず、少年マンガが、あくまで「少年」のみを装丁読者とみなしているらしいことは、滑稽ですらあるようにも思われます。

 ただ、ぼくはそれを一方的に批判するつもりはありません。たとえば少女マンガにも一定の男性読者がいるわけですが、だからといって「少女マンガは女性だけの文化とはいえない。男性読者のものでもある」などといったら、かならず大きな批判を受けるでしょう。

 それが少年マンガの場合のみ、差別的な保守性と受け取られることは何かが違っているようにも思えます。むずかしいところではありますが。

少年マンガと同性愛描写。

 ぼくは歴史的に少年マンガはじつにさまざまなチャレンジを行ってきたメディアであると評価しています。読者がすぐに思い浮かぶようなことはすでに行われている気がする。『BASTARD!!』のダーク・シュナイダーなんて400歳ですしw

 しかし、そんな少年マンガにまず出てこない要素としては、同性愛が挙げられるかもしれません。ギャグ的にネタにした作品はないわけではないでしょうが、正面からポジティヴに描き切ったといえるものは未だにないのでは。

 あるいはひょっとしたらレズビアン、ないし「百合」的な作品はあるかもしれませんが(往年の『人類ネコ科』でちょっとその手のキャラクターが出ていたなあ。なつかし)、男性同性愛を正面から扱った作品はほぼ欠けているように思います。

 少年マンガはその性質上、どうしても同性愛的に見える側面はあるわけで、またそれを同性愛と解釈した「薄い本」は何十年もまえから出ているわけですが、それでいて明確な同性愛を避けている一面もたしかにある。

 ぼくはべつにポリコレ的にどうしてもそれが描かれるべきだとはいいませんが、もし少年マンガで同性愛者の苦悩や実存を正面から描写し切る作品が出てきたら革新的なことですし、多くの人を勇気づけるのでは、という気もします。

 ホモソーシャル的な意味でむずかしいこともわかりますけれど。

少年マンガが同性愛を受け入れる時代は来るか?

 そういえば、『修羅の門』で「ホモなのか?」と揶揄的に聞かれた人物が「ああ、そうかもしれん」と答える感動的な場面がありました。あれは良いセリフだったな。

 もちろん、べつだん女性主人公とか、高年齢主人公とか、同性愛キャラクターが出ていないと日本の少年マンガはダメだ、などというつもりはありません。

 べつに少年マンガがリアルなゲイを描きだす必要はないだろうし、また、そういったいわゆるポリコレ的なジャッジにも限界はあるでしょう。

 ただ、いわゆる王道路線から『DEATH NOTE』や『進撃の巨人』といった酷烈な作品も含め、あらゆるチャレンジを行ってきた少年マンガが、どうしても同性愛だけは受け入れられないとすれば、それはなぜなのかと問うてみることには意味がある気がします。

 たぶん、「男同士の友情」を同性愛と解釈される余地があると問題だという意識があるのだと思うけれど、うーん、どうなんでしょうね。

 そういえば、『ネギま!』の「このせつ」は百合ですね。うん、おそらく他にも例はあると思いますが、そういう意味ではレズビアン的な関係は少年マンガにおいては「あり」なのでしょう。

 ただ、ホモセクシュアルはかなり徹底的に排除されているように思います。これはこの先もそうなのか? それとも、これから変わっていくのか? 興味深いところです。

 それは、日本という国の文化全体がどのような方向へ向かうのかとも関係していることでしょう。そういう視点も持ちながら、この先も、少年マンガの観察を続けたいと思います。

 あっ、最後の最後になってようやく思いついたのですが、『デビルマン』ははっきりと同性愛ものかもしれませんね。全盛期永井豪の天才を見よ!

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