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アニメもマンガもゲームもドラマも音楽も、現在は過去最高に面白い。

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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心が老いさらばえるとき。

 ひとの心は何かの金属に似ている。放っておくと錆びついて崩れ落ちてしまうのだ。

 もちろん、それまでにはそうとうの時間がかかる。未来が無限にあるようにすら思えた少年の頃には、自分の心もいつかは錆びて崩れてしまうなどとは想像もしなかった人のほうが多いだろう。

 しかし、現実に心は錆び、腐り、すり減り――あっというまに衰えていくものなのである。ぼくのようなオタクの場合、それは昔は楽しめていたものを楽しめなくなるといった「症状」として表れる。

 たとえば、マンガを読んでもアニメを見ても、昔ほど楽しむことができない。昔熱中した作品のほうがずっと面白かったように思える。いや、どう考えてもクオリティが落ちたようにしか思えない。

 あるいはたしかにこまごまとした技術は向上したかもしれないが、「魂」のようなものが抜け落ちている。そう感じられてしまう。これが、「心の錆びつき」の典型的な表出である。

 このような状態になったとき、問題が自分のほうにあると感じずに、外部に問題を見つけ出してしまうと、「時代とズレた」感性が発生する。

 ああ、昔の作品は良かった。凄かった。もちろんすべてが傑作だったわけではないだろうが、モラルにおいてもクオリティにおいてもいまとは比べ物にならない。何より、だれもが真剣に作品を作っていた。

 それに比べていまは駄作、凡作しか見あたらない。すっかり世界は変わってしまった。もううんざりだ。退屈でしかたない。このように考えるまでに至ると、いわゆる「老害」の誕生である。

どんな趣味もしだいに退屈化していく。

 しかし、ほんとうはそもそもどんなアートも、エンタメも、しだいにつまらなくなっていくのがあたりまえなのだ。なぜなら、人間は慣れるし、飽きるからである。

 同じ本を二回読んでも、一回目ほどの感動はないように、同じ趣味をくり返していると、どうしても飽きる。かつては夜通し夢中になるほど熱中した趣味であっても、「まあ、こんなものか」といった程度にしかハマれなくなっていくことはふつうだ。

 でも、それを自分の老い、衰えとは認めたくないから、作品の品質が下がったと考えてしまう。そして、自分が若かった頃を美化する一方で、その時代の作品の問題点をあげつらいはじめる。

 そうすると、たしかに、いくつもいくつも問題が見つかるのである。その「欠点」は、見方を変えれば「長所」にほかならないかもしれないのだが、そういうふうには考えられない。ただ、安っぽく消費される一方のグロテスクなまでにくだらないものばかりがあふれているように思われる。

 いや、それは一面では事実ですらあるのかもしれない。ただ、このとき、「老害」と化した人物が忘れているのは、昔がどれほど素晴らしく、美しく、いまが最悪の時代だとしても、昔に戻ることはできない、ということである。

 そのグロテスクな時代に合わせて生きていくしかないのだ。そこで楽しみを見つけるしかないのである。これを受け入れられないと、その人の「老い」は急速に進行していくだろう。

昔は良かった症候群につける薬なし。

 そうして感性は摩耗していき、ひとはいつのまにか若い頃はあれほど嫌い、軽蔑していた「昔は良かったおじさん/おばさん」に変わってしまう。

 これは、怖い。何が怖いといって、自分では変化に気づかないということが怖い。心の老いとは少しずつ進行していく病のようなものだ。

 気づいたときには、すっかり感性は錆びついて、ただイライラと周囲にあたり散らしながら、「昔は良かった、昔のマンガは健全だった、アニメも躍動していた。いまは萌えマンガにアニメばかりでぶつぶつぶつぶつ」などと呟きつづけるハメになる。

 いや、一生気づかずに終わることのほうが多いかもしれないが……。

 このように書くと、ぼくが極端なことをいっているように思われるかもしれない。だが、これはまったく極端な表現ではない。むしろ、少し軽めに書いているくらいなのである。

 ほんとうの老害はもっともっとおぞましい。その実例は、ネットで検索すればいくらでも見つかることだろう。

 じっさいのところ、「老害」とは年齢の問題ではない。自分が生きている目の前の現実を否定し、過去を美化しはじめたとき、その人はすでに老害の門の入り口に立っているのである。

 どれほど狂っていても、くだらなくても、愚かしく思えても、現実は現実であってそこで暮らしていかないとならないのであり、そして人類史上、「何もかもが素晴らしかった時代」など存在しない。この当然といえば当然のことを受け入れることが「老害」化を防ぐ第一歩だろう。

「ほんとうに」市場は白痴化したのか?

 そうはいっても、自分のばあいはそういうありふれた老害たちとは違うのだ、なぜなら、現代の作品は「ほんとうに」劣化して来ているのであって、その証拠はいくらでも見つかるのだから、というようなことをいう人もいるかもしれない。

 これは、ある意味では間違えていない。たしかに、スタージョンの法則(「何ものも90%はクズなのだ」)ではないが、市場にはクズとしかいいようがない作品がたくさんあふれている。それは事実である。

 しかし、重要なのは、それは昔だって変わらないということなのだ。マーケットに出て来る作品のすべてが傑作ぞろいなどという時代はなかったし、これからもないだろう。抜きん出た傑作を探し出すのはいつだってむずかしいものなのである。

 ただ、ひとの記憶とは都合が良いもので、過去の駄作や失敗作は都合よく忘れ去られる。また、傑作が傑作なりに抱えている欠点も忘却されてしまう。

 たとえば昔の『少年ジャンプ』は面白かった、という人は、その時代においては死者が平然とよみがえり、展開が迷走し、やたらと連載がひきのばされることがあたりまえだった、ということは忘れ去ってしまう。

 ぼくも『リングにかけろ』や『北斗の拳』のことを傑作だと思うが、客観的に見て『鬼滅の刃』ほどのシナリオの完成度はないだろうと感じる。しかし、過去を美化する人々にはそれがどうしてもそういうふうには考えられないのだ。

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 もちろん、ひとの価値観はさまざまではあるのだが……。

エンターテインメントの状況は好転している。

 ぼくはことエンターテインメントに関するかぎり、時代は確実に好転していると考える。もう、次々と素晴らしい作品が出て来て、心は踊るばかりである。オタクやっていて良かった、とつくづく思う。

 本日発売の『3月のライオン』最新刊などは、しみじみと心に染み入るような出来で、くり返しくり返し読み耽ってしまった。もう雑誌ですべて読んでいるのだけれど。

 アニメであれ、マンガであれ、音楽であれ、ドラマであれ、映画であれ、小説であれ、エンターテインメントのレベルは確実に向上を続けている。ぼくはそう思う。それが落ちて来ていると思うのは思い込みである。時代は素晴らしくなっていく一方なのだ。いや、ほんと、心の底からそう思うね。

 ただ、そうはいっても、なろう小説や萌えアニメなど、くだらない作品ばかりになって来ているじゃないか、という方もきっといらっしゃることだろう。

 たとえば『ガンバの冒険』のような、『ベルサイユのばら』のような作品がいまあるか、エンタメの質が劣化していることは客観的な事実ではないか、というふうにそういう人はいうかもしれない。

 じつはそういう作品もちゃんとあって、視界に入らないだけ、あるいは入ってもその良さが理解できないだけなのだが、ひとの視野の「解像度」は老化とともに衰えていくので、歳を取ると「何でも同じ」にしか思えなくなってしまう。

 その人がたとえば「なろう小説」とか「萌えアニメ」とか十把一絡げに語っているものの細かな区別がつかなくなって、みんなまとめてゴミだ、ということになってしまうのだ。

結局、作品を享受する人しだいだということ。

 作品のバリューは、結局のところ、受け手しだいである。猫に小判とはよくいったもので、どんな傑作であっても、感性が錆びついた人には響かない。そして時代によって傑作といい、名作という、その前提自体が変わっていく。

 だから、老害になることはなかなか避けがたいことである。それでも、なお、若々しい感性でいたいなら、常により深く、よりこまやかに作品を楽しもうとする努力が必要になる。

 そして、どんな作品であっても、あたまからくだらないと決めつけたりせずに真剣に対峙する心が大切だ。固定観念は老化のもとである。

 こんなものつまらない、くだらないといってしまったらそれまでだが、食わず嫌いでろくでもないと決めつけてしまったものでも真剣に読み、見てみると、案外、良いところが見つかることはたくさんある。

 視野の解像度を維持しよう。いや、それどころか向上させよう。老化に対抗する唯一の手段は成長しつづけることである。もっと豊かに人生を楽しめるようになるよう、感性をアップデートするのだ。

 そうすれば、「いま」に退屈することなくもっと楽しむことができるようになる。まあ、そうはいっても体力の減退だけはいかんともしがたいものがあるかもしれないが。

 いつだって今日が過去いちばん素晴らしく、あしたはもっと良くなっている。そのような希望は現代日本においてはとうに失われたといわれているが、ぼくはそれでも、エンターテインメントはこれからも良くなりつづけていくと信じる。

 もしあなたが「昔は良かった。それに比べていまは――」と思うとしたら、エンタメを見る「視力」が衰えはじめている、その兆候を疑うべきである。ぼくはそのように受け止めている。

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