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『琥珀の夢で酔いましょう』レビュー。クラフトビールを軸にさまざまな人間模様を描く秀作。

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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 『琥珀の夢で酔いましょう』というマンガを読んだ。

 あるいは、わかる人にはタイトルだけでわかるかもしれないが、ビール、それもクラフトビールに関するマンガである。

 あらかじめ企画があって、そのあと作家が選ばれたらしいものの、そうとは思えないほど洗練された素晴らしい内容になっている。

 一種の料理マンガ、あるいはお仕事マンガとして、秀逸としかいいようがないクオリティだ。

 物語は、ある冴えない料理店でふたりの客がばったり出くわすところから始まる。

 ふたりともに仕事や生活で悩みを抱えたかれらは、その店でしばし舌鼓を打つ。

 そのなかでも印象に残ったのは地物のクラフトビール。ただ、その店は料理は美味しいが、サービスその他諸々は最悪で、このままだと閉店待ったなしの状態だった。

 なし崩しでその店のアドバイザーとなったふたりは、店を改良するべくさまざまな施策を打ち始めるのだが――。

 このマンガの魅力は、ひとつにはいかにも美味しそうな料理の数々と時折、差し挟まれるクラフトビールに関する情報にある。

 日本中、あるいは世界各地のクラフトビールが次々に紹介され、いかにも美味しそうに飲み干されていく。

 ぼくはあまりビールが得意なほうではないのだが、このマンガを読んでいるとビールを飲みたくなってしまって、スーパーで二本ほど買い求めてしまった。

 そのくらい、不思議な魅力がある作品である。

 お料理マンガとしては王道といえるのだろうが、クラフトビールという題材を活かし切っていることに拍手を送りたい。

 日本のマンガの魅力のひとつはその多様性にあり、じつにさまざまなジャンルにわたっていくつもの作品が生み出されている。

 その意味ではたしかにクラフトビールというある種ニッチなジャンルに着目したマンガがあっても不思議ではないだろう。

 しかし、ただクラフトビールに関するうんちくを傾けるだけの内容であるなら、べつだん、継続して読みつづけるほどの内容にはならないはずである。

 この作品がほんとうに素晴らしいと思うのは、ビールというひとつの文化を巡って、色々な人間模様が繰りひろげられるところにある。

 先ほど、このマンガは「お仕事もの」でもあると書いた。しかり。この作品のなかで描かれているのは、それぞれに仕事に情熱を燃やしながら、しかしなかなか受け入れられることなくときに夢破れ、不完全燃焼を抱えてくすぶっている人々の姿である。

 初めはある広告代理店に派遣社員として勤めている女性にフォーカスがあたり、彼女が主人公であるかのように描かれていくのだが、そのうち、視点は拡散し、一種、群像劇の様相を成しはじめる。

 そして、そこでこの社会の矛盾、軋轢、差別、問題などにぶつかって苦悩する人間たちが、一杯のビールに出逢って変わっていく物語が紡がれるのである。

 もっとも、そうはいっても、『美味しんぼ』のように料理ですべてが解決していくというストーリーにはなっていない。

 あたかもビールのほろ苦さを真似するかのように、この物語のトーンもまた苦い。

 まるでどうしようもない現実をなぞっているかのような、苦悶のエピソードが続く。

 決してただ暗いだけの内容ではないが、身に詰まされる人も少なくないであろう「お仕事のリアル」が描かれている。

 そこでは性差別であったり、弱者に対するバイアスであったりと、ぼくたちが生きているこの社会の問題点がクローズアップされる。

 その人間ドラマの苦さ、苦しさ、そして奥深さ。

 だが、もちろん、ひたすらに苦味に注目して「この苦しさこそが人生だ」と告げるだけのマンガではない。

 この作品が描こうとしているのは、まったくビールと同様に、苦さの奥に豊饒な味わいを隠し持つ人生という一杯の素晴らしさであるように思える。

 幾種も紹介されつづけるクラフトビールたちがただ苦いだけではなく、きちんと味わってみれば色々な味わいを秘めているように、人生もまた、決して辛く悩みつづけるだけのものではありえないのだ。

 たしかに人生は苦い。辛い。苦しい。そういうものではある。しかし、人生の味わいとはその苦味と切っても切り離せないものではないだろうか。

 幼児的にただ「快」を求めるだけに留まらず、その暗黒面をも直視した上で、自分の「生」をより充実させる道を探っていく。『琥珀の夢で酔いましょう』は、そんな大人のあり方を想起させる作品に仕上がっている。

 ビールが好きでたまらない方はもちろん、そうではなく、ぼくのようにどちらかというと苦手な方でも十分楽しめる一作になっている。

 いや、それどころか、この作品との出逢いを通して、ビールというカルチャーの奥深さを知ることができるかもしれない。

 そしてまた、働いて生きていくことの大変さ、そしてそれとうらはらの充実感も。

 個人的にはぐっと視点が広がる第三巻あたりから、一気に面白くなってくる印象だ。

 とにかく、まずは一杯、酒杯を傾けながらページを開き、読んでみることをお奨めする。

 面白いマンガとの出逢いに、乾杯!

https://comic.pixiv.net/works/6217
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