乙一の五つの筆名
ファンの間では「公然の秘密」ともいうべき事実ですが、作家の乙一さんは本名を含めて複数のペンネームを使用しています。
どうも元々は何らかのトラブルで「乙一」名義を使えなくなったところから始まっているらしいのですが、いまでは意図していくつもの名前を使い分け、それぞれの名前で作品を物していることはたしかなようです。
この記事では、乙一さんの五つのペンネームについて解説したいと思います。
「乙一」名義
まずは最も歴史の古いペンネームである「乙一」名義について話していきましょう。
乙一さんは16歳のとき執筆した短編小説『夏と花火とわたしの死体』で先輩作家・栗本薫の推挙を受けデビュー、その、「死者の一人称」という独創的な手法で一部の話題を浚っています。
このときは受賞した賞のマイナーさもあって、新本格作家界隈などの狭い世界で注目を浴びるに留まっていたように思いますが、20歳を過ぎる頃からいくつもの短編の傑作を残し、しだいにその名は高まっていきます。
「せつなさの達人」という、ありがたいのか迷惑なのかよくわからないような異名で呼ばれていたのはこの頃のことです。
そして、2002年、ダーク&ビターな短編集『GOTH リストカット事件』で本格ミステリ大賞を受賞、一躍名望を高め、人気作家の仲間入りを果たします。
その後、短編集『ZOO』やいくつもの長編などを上梓し、高い評価を得るも、いくらか音沙汰のない時期があったのですが、どうやら、このときに何かしら問題があった模様。
ただし、現在に至るまで「乙一」名義での新作は出つづけており、あいかわらず傑作も少なくありません。
ほとんど天才的といっていいくらい優れた作家だといえるでしょう。
「中田永一」名義
「乙一」名義の作品と比べると、「中田永一」名義の作品はそこまで多くありません。
そして、また、初めは「中田永一」の正体が「乙一」であることは公開されていませんでした。
「中田永一」はのちに映画化もされることになる『百瀬、こっちを向いて』で「衝撃のデビュー」を遂げた「なぞの新人作家」だったわけです。
じっさい、この短編集の表題作である「百瀬」はシンプルながらきわめて優れた恋愛小説であり、乙一の新境地を開く作品でした。
結果としては「乙一」というネームバリューがなくても作品の力だけで注目を浴びることができたわけですね。
その後、「中田永一」名義では、『私は存在が空気』、『ダンデライオン』などの作品が出ています。
そのなかでも特筆するべき傑作は『私は存在が空気』に収録された「少年ジャンパー」でしょう。
これはほんとうにこの作家らしく素晴らしい小説で、ぼくの読書人生のなかでも指折りの短編といって良いと思います。
「山白朝子」名義
「乙一」さんは「山白朝子」名義でも作品を書いています。かれが使用している名前のなかでは、唯一の女性名義です。
ただ、もともと柔らかく静穏な文体で書いているため、女性名義でも特に違和感はありません。
「山白朝子」の作品は、いまのところ、「中田永一」と同様、それほど多くありませんが、そのクオリティはやはりきわめて高いものがあります。
「乙一」や「中田永一」名義での作品に比べると、わりあい、ホラー、あるいは怪談風味の作風になっているようです。
山白朝子名義での既刊としては、『死者のための音楽』、『私の頭が正常であったなら』、『エムブリヲ奇譚』、『私のサイクロプス』などがあり、そのなかには「和泉蝋庵シリーズ」という連作が存在しています。
「安達寛高」名義
安達寛高。どうやらこれが「乙一」さんの本名であるようです。
映画やドラマなどのシナリオライターを務める際や、批評家として活動するときはこの筆名が使用されています。
「乙一」さんはどうやらかなりの映画好きであるらしく、時々、小説家活動を放棄して映画の仕事に没頭しているように見えます。
いちばん好きな映像作家はタルコフスキーというところからもそのシネフィル具合が伝わってくるでしょう。
「安達」さんの最新作は短編アニメーション映画『サマーゴースト』の脚本ですが、これは素晴らしく繊細な作品でした。
そのセンチメンタルな魅力のかなりのところを「乙一」シナリオが担っているであろうことは、かれのファンであれば一見して判然とするところに違いありません。
「越前魔太郎」名義
「乙一」さんはまた、「越前魔太朗」名義での共作にも参加しています。
これは、この筆名で複数の作家が小説を書いたシリーズで、「冥王星・O」というなぞめいた人物を主人公とした物語が存在しています。
この「冥王星・O」の連作のなかでも、「乙一」さんの担当作品は、どうやら『ヴァイオリンのV』であるようです。


これは奇怪な「人間楽器」を題材とした、いかにも「乙一」らしい作風の長編です。
いまのところ、「越前魔太朗」名義の作品は、この一冊の他には短編がひとつあるのみとなっています。
『メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション』
さて、ここで一冊の奇妙な本を紹介しなければなりません。
「乙一」の五つの筆名をいわば統合する作品集、その存在そのものが矛盾を孕んだ「ひとりアンソロジー」として、『メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション』が在るのです。


これは、乙一、中田永一、山白朝子、越前魔太朗の「四人」が書いた小説と、安達寛高による評論をまとめたもので、一冊にわたってかれ一流の、一種奇怪な世界が繰り広げられています。
「乙一」のファンのなかでも、その、昏い反面を愛好する者にとっては必読の一冊といえるでしょう。
「白乙一」の代表作
「乙一」の作品には短編も長編もありますが、個人的にはやはり初期の短編の印象が非常につよく刻み込まれています。
数ある珠玉の短編のなかでも、あえて最高傑作を選ぶなら、やはり「乙一」名義の「しあわせは子猫のかたち」と、「中田永一」名義の「少年ジャンパー」あたりでしょうか。
「しあわせは子猫のかたち」はあまりにも切実な孤独の感触と優しく、柔らかい文章が印象的な小説で、「少年ジャンパー」は限りなく醜く生まれた少年の献身の物語。
いずれも非常に高度な達成というべきです。
そして、これらはいわゆる「白乙一」の作品ということになります。
「白乙一」とは、かれの全作品のなかで、とくべつ繊細で詩的で感動的な作品群を示した異名です。
「黒乙一」の代表作
それでは、一方の、残酷で酸鼻で、限りなく暗黒な「黒乙一」の代表作はどれになるでしょうか。
やはり、『GOTH リストカット事件』は除けないところではあるでしょう。
「乙一」の暗黒猟奇趣味が前編にわたって横溢した傑作で、しかも何か切々と胸に迫ってくるものがあるという、まさにかれにしか描けないであろう世界です。
そして、もうひとつ、ぼくは『暗黒童話』を挙げたい。
これは「乙一」のさいしょの長編であり、その分、完成度は必ずしも高くなく、いくらか散らかった印象を受けるものの、その「乙一」純度は際立って高く、まさに過去に類例のない小説ということになるかと思います。
かれの本領はやはり短編にある印象ではありますが、長編においても、見逃せない作品を描いていることは間違いありません。
「乙一」の最新刊
2020年1月現在、「乙一」の最新作は同名の映画のノベライズと、その姉妹編である『サマーゴースト』及び『一ノ瀬ユウナが浮いている』になります。
ぼくはこの作品を、偶然に書店で見かけ、すぐに入手しました。
「乙一」の作品で、タイトルが「サマーゴースト」。この時点でもう、外れはありえないと確信していたのです。
「乙一」のデビュー作は「夏と花火とわたしの死体」ですから、「夏」と「ゴースト」の物語は、いわばかれの最初期の衝動を再起動するものであるのかもしれません。
まとめ
そういうわけで、「乙一」氏のまとめ記事、いかがでしたでしょうか。かれの作品はいずれもエンターテインメントとして高度にまとまりながら、絶妙なリリシズムをたたえた名品ばかり。
もしいまから「乙一」の世界に入っていこうという人がいるのなら(そういう人はこの記事を読んでいないかもしれませんが)、ぼくはとりあえず『失はれる物語』と『GOTH』の二冊をオススメしたいと思います。


ここにはまさに「乙一」の源流がある。ここから、その他のいろいろな作品に入っていくと良いでしょう。