ジョン・ケントくんはバイセクシュアル。
アメリカンコミック『スーパーマン』の新シリーズで、主人公がバイセクシュアルだと明かされるということで、日本でも話題になっています。
米出版社DCコミックスは11日、コミック「スーパーマン」の新シリーズの最新号で、主人公のジョン・ケントがバイセクシュアル(両性愛者)だとカミングアウトすると発表した。新聞記者の友人男性と恋愛関係になるという。
米紙ニューヨーク・タイムズは「最も典型的な米国のヒーローであるスーパーマンのカミングアウトは、多くの漫画が多様性を受け入れる時代の中で注目すべき瞬間だ」と指摘している。
ジョン・ケントは、元祖スーパーマンであるクラーク・ケントの息子。
これに対しては情報が錯綜していて、「スーパーマンがゲイになった!」などといっている人も散見されますが、ゲイではなくてバイのようだし、有名なクラーク・ケントではなくその息子のジョン・ケントのようですね。
じっさいに物語を読んでいないので何ともいえないところはありますが、特に問題はないのではないでしょうか。
そりゃ、あれだけスーパーヒーローがいたらひとりふたりセクシュアル・マイノリティの人がいてもおかしくないよね。
この場合は「ポリコレだ!」とか「物語を歪めている!」といった非難はあたらないと思う。
「気持ち悪い」と思うなら読まなければいい。
「気持ち悪いから見たくなかった」とかいっている人もいますが、自分が気持ち悪いと思うものは隠せというのはホモフォビアまるだしである以前に表現規制派の物言いですよね。
フェミニストが「萌えキャラは世間一般では受け入れられないから隠せ」といっているのとあまり変わらない。
そういうわけで、とりあえずいまの時点ではぼくは「特に問題ないのでは」という意見です。
「ポリコレ」を敵視することは勝手だけれど、「スーパーヒーローものにセクマイの登場人物を出すな」というのは、いまの時代、あまりに狭隘で差別的ないいぐさでしょう。
もちろん、いわゆるアメコミの世界が大きく「ポリティカル・コレクトネス」の影響を受けていることは歴然たる事実ではあるとは思います。
ぼくも(日本では本が高額なのでなかなか収集し切れないのですが)多少アメコミを読んでいるのでいくらかは知っている。
しかし、それを一概に「悪いこと」として処理してしまうことはいかにも乱暴ではないでしょうか。
そういう「ポリコレ」が物語を歪めている側面もあるかもしれないけれど、それはそのばあいにのみ批判すれば良いのであって、ある作品に同性愛者や両性愛者が出て来たからといって、それだけで問題視することはもはや論外なのではないかと。
バイセクシュアルの人物は現実にいるのだから、創作のなかにもいたっておかしくないでしょう。
「ポリコレ」のふたつの顔。
くり返しますが、「ポリコレ」が行き過ぎて表現が歪められるということもたしかにあるのでしょう。
また、「ポリコレ」をこん棒のように振りかざして表現を非難する人もいることでしょう。
そのばあいには、たしかに「ポリコレ」は批判されなければならない。しかし、このばあいはそれにはあたらないと思うのです。
いったいスーパーマンの息子がバイセクシュアルだったからってだれが不幸になるというのでしょうか?
この件に関する過剰な反応はおかしいと思いますね。
もちろん、逆に称揚しすぎることもおかしいのであって、ようはこの新スーパーマンのジョンくんが思わず応援したくなるようなヒーローとして描けているかどうか、それがすべてでしょう。
エンターテインメントとは良くも悪くもそういうもので、「正しいかどうか」ではなく「面白いかどうか」によって判断されるのですね。
しかし、その「面白いかどうか」の基準が急速に変わりつつあるということは認めて適応していくべきなのだと思います。それができない人は読まなければ良いだけですよね。
アメコミもまた変わっていく。
表現における「ポリコレ」は一概に有益とも有害ともいえないでしょう。
あまり行き過ぎるとそれなりの「くさみ」が出るにしろ、表現の可能性を拡大していることもたしかなのです。
「ポリコレ」が拓くマーケット。
また、純粋にビジネスの側面で見ても、「ポリコレ」がいままでにないマーケットを開拓していることはファクトといって良いのではないかと思います。
これはアメコミ原作ではなく映画の話になりますが、たとえば黒人のスーパーヒーローを主人公にした『ブラックパンサー』が歴史的な大ヒットを遂げたことは記憶に新しいところです。
それまでは黒人のヒーローが受け入れられるとは思われていなかったわけですが、結果としてはそれは単なる思い込みに過ぎなかったわけです。
これはあきらかな「ポリコレ」の成功例だった。この世界にはじっさいに多様なセクシュアリティがあるのであって、それを創作のなかで描くことにしたとしてもべつだん問題はないと思うのです。
『ドラゴンボール』に喩えて語っている人もいるけれど、べつだん『ドラゴンボール』のなかにゲイやバイのキャラクターが出て来ても何もおかしくないでしょう。
ただ、だからといって「ポリコレ」的な表現がいつも正しいわけでもないし、正しければ面白いわけでもない。
結局は是々非々ということですよね。
個人的には、いままでにない表現のフロンティアが開拓されていくことは歓迎するべきだと思いますが、当然、「それはないんじゃないか?」というものもあるわけです。
アメリカでは当然ながら保守層からの反発もあるようだし、具体的な例を個別に判断して見ていきたいですね。あなたのご意見はどうでしょうか?

(看板娘)
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