『ソードアート・オンライン-プログレッシブ- 星なき夜のアリア』を見てきたよ。
先日、地元の劇場で、映画『ソードアート・オンライン-プログレッシブ- 星なき夜のアリア』を鑑賞してきたので、そのレビューを書こうと思います。
いきなり結論から書いてしまうと、たいへん面白かった。
『ソードアート・オンライン』シリーズの過去作ファンの方はもちろん、これから『SAO』の世界に入ろうかと考えている方も観に行って損はない出来なのではないかと。
以下、『SAO』の世界の成り立ちからかんたんに解説していきます。
映画の内容についてだけ知りたい方は三つほど見出しを飛ばして、その箇所だけ読んでいただければ。
『ソードアート・オンライン』の成り立ち。
『SAO』の原作は川原礫によるライトノベルです。発表以来、爆発的な人気を獲得し、2021年11月現在、巻数にして26巻が発売されています。
『ソードアート・オンライン-プログレッシブ-』はその番外編というか姉妹編。
こちらも8巻まで発売中で、さらに続刊が続くものと思われます。シリーズ総計でのセールスは2600万部を突破しているとか。
この『SAO』シリーズでは基本的に電脳仮想現実空間を舞台として物語が続いていきます。
最初の「アインクラッド篇」では、主人公であるキリトとアスナたちはなぞめいた天才科学者・茅場晶彦によって全百層に及ぶ広大な世界からなる「仮想現実オンラインゲーム」ソードアート・オンラインのアインクラッドに閉じ込められ、そこからの脱出を目ざします。
あくまでゲームでありながら、そこでの死は現実世界での死をも意味するという過酷な状況で、ゲームクリアによる生還を目ざす数万人のプレイヤーたち。
そのなかでも最前線で戦うキリトたちはつねに死と隣り合わせのところにいます。
はたしてふたりは恐るべきデスゲームをクリアできるのか? このゲームを仕掛けた茅場の真意は――? と、設定からしてひじょうに秀逸な物語なのですが、じっさいには最初の舞台である「アインクラッド」は、第一巻でクリアされてしまっています。
そこからは他のゲームに舞台を移して物語が続いていくことになるのですが、作者はいささかダイジェスト的に終わったこの「アインクラッド篇」を惜しいと思ったのか、形を変えて再開します。
それが『プログレッシブ』で、百層あるアインクラッドの攻略を第一層目から追いかけていくというとんでもない話です。
いったい何十巻かかるのかわからない、ほんとうに終わるのか?という企画なのですが、現在、少しずつ進行しているところです。
おお……。
なぜ、『ソードアート・オンライン』は「王道」を貫けるのか?
それでは、『SAO』の最も本質的な面白さとはどこにあるのでしょうか?
なぜ、このシリーズはライトノベル史上最高のセールスを叩き出しているのか?
どこが他の作品と違うのか?
もちろん、ひとことでいえるものではありませんが、やはりそれはこの作品がどこまでも「王道」を貫いていることにポイントがあると考えます。
主人公はどこまでもさっそうとかっこよく、ヒロインはどこまでも可憐で勇敢。
『SAO』がいまの時代、なかなかできなくなった「王道にして正統のエンターテインメント」に挑戦し、それを実践していることは驚異的です。
よく『進撃の巨人』に対して「王道」という言葉が使用されますが、やはりあの作品は何重にもひねった上で「王道」を実現している印象がある。
それに対して、『SAO』はきわめてオーソドックスです。ちょっと間違えたらむしろ没個性といわれかねない内容とすらいえるでしょう。
無数のエンターテインメントが存在し、それぞれが個性を競い合っているいまの時代、このようなスタンダードな作品は埋没していてもおかしくない。
それなのに、じっさいには『SAO』は覇権を究めている。これはいったい何を意味しているのか?
ひとつには、このシリーズが「ゲーム」と「現実」の境界があいまいな世界を描いているところに魅力があるのでしょう。
あくまでも「ゲーム」であり「仮想現実」でありながらじっさいの死にもつながることがありえる世界はきわめて魅力的です。
いまの時代、このような直球で「王道」の設定を行うとき、「ゲーム」という前提なしではできなかったと思うのですね。
そうかといって、単なる「ゲーム」だけでもない。いわば「ゲーム」と「リアル」の良いとこ取りをした設定ともいえる。
そこにこそ、『SAO』の魅力があるのだと思われます。
数多くのネット小説がたどりつけない最終理想形。
とはいえ、そのような説明では『SAO』の何を解説したことにもならないかもしれません。
「ゲームの世界」を舞台にした物語そのものは昔から延々と続いているものであり、特に『SAO』が新しいわけではないともいえるのです。
電撃文庫でも、一部ではその名を知られる『クリス・クロス』などの例があります。
また、『SAO』の最初の巻が出版されたのはすでに十数年前のことであり、もとになる作品がネットに掲載されていたのはさらに早く、「小説家になろう」掲載作品を初めとするネット小説の大半に先行しています。
しかし、その完成度は圧倒的で、むしろ多くのネット小説が目ざしてなお到達できないひとつの理想形ということができるかもしれません。
ネット小説の多くは「チート」という形でヒーローの特権性を説明するわけですが、『SAO』におけるキリトはべつだん特別なチートを持っているわけでもなく、ただ、とにかく天才的に強いのです。
くりかえしますが、このようなシンプルな設定のヒーローは現代においては説得的ではなくなっているはずなのです。
しかし、キリトはじっさいにだれよりもかっこいい。
ここにある種の天才性を見ないわけにはいきません。
ほとんどのネット小説が出てくるまえに生まれたその最終理想形。
そういういい方はあるいは矛盾であるかもしれませんが、『SAO』はそうとしか表現しようがない「別格」の作品と見て良いでしょう。
いったい何をどうしたらこのような作品が生まれるのか、ぼくはいまでも分析しきれずにいるのです。
『ソードアート・オンライン-プログレッシブ-』の新境地。
さて、今回の映画は『プログレッシブ』の初の映像化。
かつてテレビアニメで描かれた物語をもういちど語り直す形となっています。
キリトやアスナたちがいかにして「アインクラッド」のなかに閉じ込められ、そしてそのクリアを目ざすのか。一から語られているわけです。
すでにいちど物語られたことをあらためてリスタートするとなると、必然、退屈な内容になりかねないと思われるところですが、今回の映画ではちょっと面白い仕掛けがほどこされています。
従来の『ソードアート・オンライン』シリーズの主人公であるキリトの出番を遅くして、いままではヒロインであったアスナの視点から語っているのです。
アスナがどのようにアインクラッドに入ったか、その家庭環境がどういうものであるのか、それらはいままでのシリーズでも説明がありましたが、今回はさらに深堀りされています。
そして、べつだん、ゲームが得意ではないちょっとしたきっかけから絶望のデスゲームに入り込むこととなり、命がけの日々を生き抜くこととなったアスナの戦いがそれはもうかっこよく描写されています。
いうまでもなく美少女ヒーローが戦う内容そのものに新味があるわけではないものの、過去作品では基本的にヒロインポジションだったアスナが前面に出た内容は新鮮です。
もちろん、キリトくんもやたらかっこよく登場してくるのですが、今回、かれはやはりわき役といって良いでしょう。
あくまで、アスナの視点にフォーカスして物語は進んでいきます。
だからこそ、『SAO』従来作品のファンにとっても十分に楽しめる新作に仕上がっているといえるかと思います。
未完のシリーズはどこまで続くのか?
とはいえ、先に述べたように長大な、長大であることが設定から運命づけられたシリーズですから、この映画だけではストーリーは完結していません。
おそらく正編のほうもさらにテレビアニメシリーズが続くことでしょうが、『プログレッシブ』もまた、来年公開の次回映画に続くようです。
最近、『ガールズ&パンツァー』や『プリンセス・プリンシパル』など、映画連作形式のアニメが増えていますが、この作品もまた同じ形式なのでしょう。
ただ、いまのところまったく終わりが見えていないところが違っていますが……。
創るほうはいったいどこまで続けるつもりなのでしょうね?
映画としては前作にあたり、『SAO』全作のなかでは番外編といえる『オーディナル・スケール』はかなりの大ヒットを記録したので、あるいはこの『星なき夜のアリア』も大入りになるかもしれません。
そうなれば、延々と続編が続くことになるかもしれませんが、さすがにラストの「ゲームクリア」まで描くのは至難でしょう。
そうすると、どこかで切り上げることになるのかどうなのか。いずれにしろ、続編の内容が楽しみではあります。
原作既読の方にも未読の方にも十分お奨めできる新作映画。これからいよいよ面白くなってくるところでもあろうと思われるので、ぜひ、映画館でたしかめてみてください。
素晴らしい映像体験を体感できることでしょう。

全編、アスナ視点の新作『ソードアート・オンライン』! いままでキリトの目線から語られていたストーリーが一からリスタートしていて、これがまた面白い。従来の『SAO』ファンはもちろん、気になっているだけの人も劇場へ直行だ!
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