映画

河村光庸Pに見るアニメへの偏見蔑視と「左翼冷笑系」の病理を問う。

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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『鬼滅の刃』や『シン・エヴァ』は実写映画を「排除」したのか?

 いま、「政権に斬り込む『パンケーキを毒見する』河村光庸Pインタビュー「『鬼滅』や『エヴァ』は映画館を救わなかった」 【第1回】」と題する記事ソーシャルメディアでが「炎上」している。

 もう、タイトルを見ただけで炎上する理由がわかるような気がするが、一応、中身を見ていってみよう。

シネコンはご承知のように、アニメに席巻されています。よく、コロナ禍で『鬼滅の刃』(※『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』[2020年])が映画業界を救ったと言われますが、私は実写映画に関わる人たちや小さい映画を、あのアニメ映画が排除したと思っています。

学生たちに、「じつは『鬼滅の刃』や『エヴァンゲリオン』は、ある一定の映画館と映画会社しか儲からなかった。小さな映画を作っている人たちや実写の人たちは、みんなアニメ映画のおかげで排除されたんだから、逆に映画館を危機に陥れたことになるんだ」という話をすると、皆びっくりするわけです。もちろん映画としては否定しないし、娯楽映画として素晴らしいと思うのですが、製作者としてはやっぱり辛かった。そうした映画の多様性についても話をしながら、シネコンで公開することになったんです。

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 ……はい、終わり、終わり。いちいちツッコミを入れる気にもならない。

 「娯楽映画として素晴らしいと思う」といいながら、あきらかにアニメを見下していることがありありとわかるインタビューだ。

『鬼滅の刃』は映画界に貢献している。

 表現として、あるいは興行記録において、同時代のアニメを圧倒する作品を作った上でアニメを蔑視するならまだ理解できる。

 しかし、『鬼滅の刃』や『シン・エヴァ』、あるいは『天気の子』や『クレヨンしんちゃん』の高度な表現に対抗できるだけの映画を作った実績があるわけでもない人間が、こうも傲慢に実写至上主義を語るところを見ていると、呆れ果ててものもいえない。

 「負け犬の遠吠え」とはまさにこのことだと思う。

 たしかに、昨年の映画の興行が事前に大ヒットが予測された『鬼滅の刃』に集中し、そのおかげで他の映画がビジネス的にきびしくなったという側面はあるだろう。

 しかし、それはつまりそれだけ映画館が危機的な状況にあったということであり、繰り返される緊急事態宣言のさなかで『鬼滅の刃』が映画館と映画業界に大きな貢献をしたことは間違いない。

 少なくとも、『鬼滅の刃』や『シン・エヴァ』は、日本の映画を救ったとはいえないまでも、大きな貢献をしたことはたしかだろう。

 特に『鬼滅の刃』は世界的に見ても年間興行記録を打ち立てた映画である。『鬼滅の刃』の大ヒットはこのコロナ禍のなかで映画館の安全性を何よりわかりやすくアピールした意味もあり、世界中の映画関係者がどれほど勇気づけられたかわからない。

 ひるがえって、「実写映画に関わる人たちや小さい映画」はどうか。

一方的な被害妄想。

 もちろん、実写邦画にも良い映画はいくつもある。しかし、純粋に興行的に見るなら、ここ数年、アニメ映画の数々の大ヒットに比肩するヒット作を出せているとはいえない。

 それをして「実写映画に関わる人たちや小さい映画を、あのアニメ映画が排除した」というのなら、たしかにその通りだろう。

 しかし、自ら客が入らない映画を作っておいて、それをアニメのせいにするのはいかにもばかげている。

 大ヒットアニメに「排除」されたくないのなら、自分自身、大衆性を備えた映画を作ってヒットさせれば良いではないか。

 それができないままで、自分の映画の興行的不振を他者のせいにすることは負け惜しみも良いところである。

 あるいは、自分たちの作っているものは、ビジネス的にはヒットしないが内容的には高度なものなのだ、という驕りもあるのかもしれない。

 しかし、同時期にドナルド・トランプ政権であったハリウッドでは政治的主張と高度なエンターテインメント性を兼ね備えた映画がいくつも作られている。

 それこそアニメでも『ズートピア』のようなリベラル賛歌的な映画が作られてヒットしているのだ。

 それに対して質的に比肩しえない作品しか作れずにいる自分たちを顧みることなく、「みんなアニメのせいだ」とは最低も良いところである。

 その言動にはそもそも実写映画のほうが高度な文化であり、それが低俗な娯楽アニメ映画のせいでパイを奪われてしまったという発想が見て取れる。

 一方的な被害妄想としかいいようがなく、いいかげんにしろといいたくなる。

政治批判映画の強烈なシニシズム。

 ぼくはこの『パンケーキを毒見する』という映画を見ていない。ぼくが暮らしている新潟県では上映されていないから見ようがない。

 だから、この映画を批判的に語ることはつつしもう。しかし、この映画に強烈なシニシズムが見て取れることは間違いない。何しろ、公式サイトに「シニカルな鋭い視点」と書かれている(https://www.pancake-movie.com/)。

 だが、左派は一貫してその種のシニシズムを「冷笑系」と呼び、自分たちの正義を理解しないものとして蔑んで来たのではなかったか。

 自分たちが冷笑するのは良いのか。驚くべきことに、どうやら良いらしいのだ。

 他人から冷笑されるのは耐えられないが、自分が冷笑するのはオーケー。そのような左派のあまりにも身勝手な主張がこの種の表現からは見て取れる。

 あるいは、左派の言論人はいうかもしれない。

 自分たちのシニシズムは権力に対する「風刺」であり、強者へ挑んだ敢然たる戦いである。それに対して、右派の「冷笑系」は弱者を守ろうとする正義の戦いをあざ笑っているだけなのだから、まったく性質が違うものなのだと。

 だが、そのような主張は人々を納得させないだろう。だからこそ、現在、世界的に見ても左派の思想は多くの人の理解と共感を得られずにいるのだ。

 それを世論の「右傾化」と見ることは間違いである。ただ、左派が嫌われているだけだ。自分たちの作品の興行的失敗を大ヒットアニメのせいにするような勢力にだれが共感できるだろう?

人の正義を「冷笑系」と呼ぶな。

 左派の人々は口々にいう。「人の正義を笑うな」と。だが、どうやら笑ってはいけないのは「自分たちの正義」だけであって、自分と異なる思想の人の大切なものはいくら笑い飛ばしても良いようである。

 ダブルスタンダードというのも愚かしい。限りなく自己中心的な姿勢が見て取れる。

 「人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか」と題する記事がある。この記事では、社会的な「正義」を笑い飛ばす「冷笑主義(シニシズム)」の危険さが語られている。

現代のソーシャルメディア上に蔓延している冷笑的空気は、一般には「シニシズム=冷笑主義」と呼ばれている。シニシズムとは、なにごとにも斜に構え、世間の生活を嘲笑し罵倒するかのような態度を指す。

社会的な通念から距離を取り、みだりに確たる根拠のない考えに惑わされないという側面からみれば、シニシズムも一概に悪いとはいえないと思うかも知れない。メディアがもたらすスペクタクルに翻弄され、社会の空気に「右向け右」式に流されるのが仮に大衆の特徴なのだとしたら尚更だ。

しかし歴史を振り返ってみれば、政治に対する冷笑的な態度は悲惨な結末を招いたことがわかる。現代のソーシャルメディア上に蔓延する冷笑は、本質的にどのような問題をはらんでいるのだろうか。政治や社会に対するシニシズムの問題点について考えてみたい。

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敵は鏡のなかにこそいる。

 なるほど、ぼくもそう思う。政治に対するシニシズムは危険である。一部の右派言論人のシニカルな物言いにはほんとうにうんざりさせられる。

 だが、それは左派に対してもいえることだ。少なくとも現在の日本のソーシャルメディアにおける左派の問題点は、自分たちを正義だと盲信してかえりみず、他者を「冷笑」してやまないその傲慢さにあると思われる。

 何より「冷笑系」などという言葉を一方的に使える立場にあると考えること自体が異常でしかない。

 そもそもこの種の政治批判映画が一般の有権者のところまで届かないのはそのイデオロギーまみれの安っぽいシニシズムが嫌われているからではないか。

 そう、シニシズムを問題とし「冷笑系」を蔑むのは良い。だが、それなら自分たちもまたシニカルで冷笑的な態度を取ってはならない。あたりまえのことではないか。

 自分はさんざん「ネトウヨ」を冷笑しておいて、いざ自分たちが非難されると、「冷笑系だ! 正義の敵だ!」とわめき始めるのは傲慢を通り越して滑稽である。

 いまのままでは、だれもがこの手の政治批判映画ではなく面白いアニメのほうを見に行くだろう。少なくともアニメの制作者は客を見下してはいない。左派は自ら自分の首を絞めている。

 敵はアニメではないのだ。それは、鏡のなかにこそいるのである。そのことを認められない限り、残念だが、いつまでも現在の退潮は続くだろう。

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