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打ち切りの危機?司の正体は?『トニカクカワイイ』をネタバレ解説!

ライター

 1978年7月30日生まれ。男性。活字中毒。栗本薫『グイン・サーガ』全151巻完読。同人誌サークル〈アズキアライアカデミア〉の一員。月間100万ヒットを目ざし〈Something Orange〉を継続中。

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『トニカクカワイイ』とはどのような作品か。

 『週刊少年サンデー』はお好きでしょうか。

 いま、こう訊ねてもすぐに積極的に「好き!」と答えてくれる人はあまり多くないかもしれません。

 それくらい、いまの『サンデー』は「衰えた」印象が強い。

 その部数を一気に急落させた「暗黒時代」ともいうべき一時期に比べればいくらか良くなってはいるかもしれませんが、全盛期、「黄金時代」を知る者からすれば、やはり「とほほ」に思えてしまいます。

 その『サンデー』で長いあいだ看板作家として雑誌を支えつづけているのが畑健二郎さんであり、そして、かれがいま、『サンデー』で連載しているラブコメ漫画が『トニカクカワイイ』です。

 これが面白い。何といっても、コンセプトが明確。どういう話なのかというと、主人公が「とにかく可愛い」女の子と結婚して、ひたすらいちゃいちゃするという、それだけのストーリーなのです。

 未読の方はほんとかよ?と思われるかもしれませんが、ほんとにそうなんですよ!

 このわかりやすさ、割り切りの良さ、そして時代を読んで「一対一恋愛もの」に絞ったところはさすがと感じさせられますね。

 素晴らしい作品ですので、もしまだ未読の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、読んでみてください。陳腐ないい草になりますが、「ラブコメ好きにはたまらない」作品といえるかと思います。アニメにもなっていますね。

TVアニメ『トニカクカワイイ』PV

 最近、微妙にはやっている「結婚もの」の代表的な作例にあたるでしょう。

『トニカクカワイイ』のあらすじ。

 『トニカクカワイイ』のストーリーは、「星空」と書いて「なさ」と読むいくらか奇妙な名前をもつ、天才的に優秀な頭脳を持っているものの、どこか抜けているところがある少年が、ひとりの「とにかく可愛い」女の子と出逢うところから始まります。

 その少女に声をかけようとするナサでしたが、運悪く、そこで交通事故に遭ってしまいます。

 哀れ、かれはそこで亡くなり、べつに異世界転生することもなく物語はここに幕を閉じたのでした――となるはずもなく、ナサは先ほどの女の子に救われます。

 かれは瀕死の重傷を負い、彼女もまた傷を負っていたものの、彼女は気にしたようすもなくその場を去っていきます。

 しかし、ナサはこのとき、重い傷を負ったからだで彼女を追いかけて疾走し、そして、彼女を見つけて「好きだ」と告白します(さっき逢ったばっかりなのに……)。

 それに対して、その女の子は「結婚してくれるならいいよ」という意味のことを語ります。それに対して、ためらうことなくイエスと答えるナサ。

 そしてナサは気を失い、彼女との関係もそれっきりになってしまうのかと思われたのですが、数年後、ふらっとその少女、「司」はかれのまえに再びあらわれて、結婚するためにやって来たことを告げます。

 不審といえばこの上ないくらい不審な状況なのですが、ナサは「だまされてもいい!」とすぐに決断。あっというまに婚姻届けを出して結婚することになります。

 それから、ふたりのいちゃいちゃ、らぶらぶな新婚生活はスタートすることになるのでした――。

『トニカクカワイイ』が打ち切りの危機?

 そういうわけで、この漫画のベースは「日常」、それも「とにかく可愛い女の子との甘い新婚生活」です。

 世の中にラブコメ漫画は数ありますが、ここまでシュガーたっぷりな作品もあまりないのではないかと思うくらい、スウィートな展開が続きます。

 まあ、読者はそういうものを見たいのだから良いのだけけれど、それにしても甘い。

 ただ、この展開は人気を獲得し、連載は好評のうちに続くことになります。Amazonを見ても評価はとても高いようですね。

 ところが、その「とにかく可愛い」ラブコメ漫画、『トニカクカワイイ』が、打ち切りの危機にあるのではないかというウワサが、しばらくまえに流れていました。

 じっさい、GoogleやTwitterで「トニカクカワイイ」を検索すると、「打ち切り」がサジェストされることがあったのです。

 いったい、アニメ化もされた、いまの『サンデー』を代表する人気作品がなぜ打ち切られなければならないのか、疑問に思ってしまうところですが、いま振り返ってみると、どうやらこれは「根も葉もないウワサ」に過ぎなかったようです。

 このウワサが流れてから一年近く経ったいまでも問題なく連載は続いていることが何よりの証拠です。

 あいかわらず、いちゃいちゃいちゃいちゃ、物語は続いています。

 それでは、なぜ、このようなウワサが流されたのか? そこを考えてみると、畑さんの前作である『アド・アストラ・ペル・アスペラ』(憶えにくいタイトル!)のことが浮かび上がってきます。

 この作品は、『サンデー』で短期集中的に掲載されて、第一部完となり、その後、第二部の音沙汰がない状況が続いています。まあ、「打ち切り」と見て間違いないでしょう。

 単行本も第一巻が発売されたきりで終わっていて、続きを期待することはむずかしい状況です。

 で、どうやらこの『アド・アストラ・ペル・アスペラ』と『トニカクカワイイ』が混同された一面があるのではないかと思われるわけです。

 もちろん、内容的に共通項はない、まったく異なった作品なのですが、まあ、誤解した人が出たのでしょう。そういうこともあるというべきか。

『アド・アストラ ペル・アスペラ』はなぜ失敗した?

 それでは、この『アド・アストラ・ペル・アスペラ』はなぜ打ち切られてしまったのでしょうか。

 なぜも何も、おそらく「人気がなかったから」という答えになってしまうのですが、なぜ、大人気ラブコメ作家の畑健二郎の新作なのに、あっというまに打ち切られてしまうほど不人気をかこったのか。

 それはまあ、あえていうなら、やはり「面白くなかったから」という答えになります。

 いや、この作品が好きだという人もそれなりにいると思うので、あまり大声ではいいづらいところなのですが、やはりぼくはこの漫画、いまひとつ面白くないと思う。

 その理由もはっきりしていて、「作者が自分の得意分野から離れて苦手分野の作品を描こうとしたから」なのですね。

 畑健二郎さんはたしかに天才的といってもいい日常ラブコメの描き手ですが、だからといって何でも描けるわけではありません。

 そこは人間ですから、自然、「得意」と「不得意」がある。

 で、『アド・アストラ』はその「苦手、不得意」な部分に集中した作品だったと思うのですね。

 何といっても、この漫画、「激しいロボットバトルもの」であり、「気宇壮大なスペースオペラ」なのですよ。

 畑健二郎さんの得意分野は、あきらかに「まったりとした日常もの」ですから、これは畑違いも良いところです。うまくいかなくてもしかたありません。

 じっさい、『アド・アストラ ペル・アスペラ』を読んでみると、隔靴掻痒というか、いまひとつちぐはぐな印象がぬぐえません。

 それは、きわめて壮大なスペースオペラに、細かいギャグやコメディ要素がミスマッチを起こしているからだと思うのですが、いずれにしろ、ちょっときびしい作品であることは間違いないのです。

 じっさい、連載は打ち切られ、単行本もその後出ていないわけですからね。

 まあ、ひとの好みはそれぞれながら、ちょっと「うーん……」となってしまうような、おそらくは「失敗作」なのでした。

ヒロイン・司の正体と、畑健二郎がやりたいこと。

 『トニカクカワイイ』には、その『アド・アストラ・ペル・アスペラ』の反省が活かされているように思います。

 自分の得意分野は日常、それも「とにかく可愛い」女の子とのラブコメだ!という割り切りがこの作品には満ち満ちています。

 どこからどこまで平穏で平和な、壮大さとは縁のない物語。でも、その日常の一々が何とも面白い。それが畑健に郎さんの持ち味なのですね。

 おそらく、この作家さんは「壮大で骨太の物語」をやりたい人なのでしょう。でも、朔風が致命的にその方向には向いていない。

 残酷な話ではありますが、「日常ラブコメの天才」は、「波乱万丈の冒険物語」に関しては凡才でしかないのです。

 人はかならずしも自分のやりたいことに適した才能を持っているとは限らないということでしょう。

 しかし、『トニカクカワイイ』にもわずかにひとつ、「壮大な物語」をやりたいという野心の名ごりが残っています。それが「司の正体」です。

 司ちゃんはどうやら不老不死で、何百年、あるいはもっと昔から生きているらしいということは、連載序盤からすでに匂わせられていました。

 それはラブラブな日常コメディの各所に伏線として仕込まれていて、読者の謎解き心を誘って来ました。

 いったい司は何者なのか? 数々の伏線から、「かぐや姫」なのではないかという説も出ていたりしたのですが、これらの伏線は第16巻あたりで解き明かされます。

 結論からいってしまうと、彼女は「不死の薬」を飲んだ、飲まされた人間でした。

 彼女はいまから千数百年も昔に生まれ、病弱なからだで生きていたものの、その死を恐れた母親によって、不老不死の妙薬を飲まされ、どんなことがあっても死ぬことができない肉体になってしまったのです。

 それから延々と現代まで生きつづけ、その時代、その時代の重要人物に逢ったりしながらも経験を積み、そして現代でナサと出逢って恋に落ちたというわけです。

 いや、そんなに長生きしているにしてはあまりにうぶ過ぎない?という気もするわけですが、それはまあそういうものなのでしょう。司が恋愛したのはナサくんが初めてだって話だしな。

 一千年以上生きているのだからいくらでも機会はあったと思うのだけれど……。

「物語作家」の資質とは。

 そういうわけで、何もかも平和なばかりの日常ネタとして思えない『トニカクカワイイ』のなかにすら、畑健二郎さんの「面白い「物語」を描きたい!」というほとばしる情熱はひそんでいたわけだったのです。

 思えば、代表作『ハヤテのごとく!』でも、べつにたいして必要ないかと思われるような「物語」的な波乱万丈がたくさん仕込まれていました。

 それらは、『ハヤテ』を人気作品に仕立て上げたラブコメストーリーにとっては不要どころか、へたすると有害な要素ですらあったのではないかと思われるのですが、畑さんにとっては「むしろこちらのほうがやりたい」部分だったのでしょう。

 畑さんは、たぶん宮崎駿とか、田中芳樹とか、栗本薫が描いたみたいな「ザ・物語」的なものがやりたい人なのでしょうね。

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 まったく向いているとは思えないのだけれど、少なくとも日常ラブコメと同じくらいには、「物語」に対して野心があるのだと思われます。

 そういうところを見ていると、つくづく人間って、あるいは作家って不思議なものだと思いますね。

 得意分野をただしゅくしゅくと描いていればだれからも文句をいわれることもないほどの才能を持っているのに、それでも「自分がほんとうに描きたいもの」を仕込まずにはいられないのですから。

 でも、気持ちはわかるというか、非常に共感できるポイントなのです。

 やっぱり、人気は大切ではあっても、それだけのために描いているわけではないでしょうから。

 作家としてプロフェッショナルであるためには、「自分が個人的に描きたいもの」と「読者が読みたいと思うもの」をどこかでどうにか折り合いをつける必要があって、畑さんにとってそのバランスポイントが『トニカクカワイイ』だったのだと思う。

 だからこそ、この作品はヒット作となり、たくさんの人に愛されているのだと考えます。

 でも、人気を度外視して、『アド・アストラ・ペル・アスペラ』の続き、また描いたりしてくれないかな。あれはあれで、ぼくは嫌いじゃないんですけれどね。

 「本人がやりたいこと」と「向いていること」は必ずしも一致しないという話でした。おしまい!

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